森の食堂 ア・ラ・カルト

フランスの片田舎で、四季の食材を使った料理を楽しみながら、森の動物とネコ達と暮らす日々を綴ったブログです。

2015.01.12.Mon

フランス人がひとつになった日


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昨日のデモには凄い数の人が集まった。数字で何十万人と言われてもピンとこないけど、テレビで流される映像を見るとその数の多さに驚く。

今回の事件で犠牲になった人達、テロを起こした人間、その全てがフランス人だったという点も人々にとっては衝撃的だったのだろう。

でも、自分にはここまでの連帯意識をフランス人に持つ事はできなかった。そこはやはり日本人なんだろうと思う。オリンピックでも人が自然と自分の国の選手を応援してしまうように、その国で生まれ育った人間にしか芽生えない特別な想いがなければ、ここまで多くの人が結束してデモに参加する事はなかったと思う。


テロの事件以来頻繁に見かける『je suis charlie 』というスローガンがある。「私はシャーリー」(英語的に発音するとチャーリー)。シャーリーって誰?この事件が起きたシャーリー・エブドという週一回発行される新聞社の名前だということは妻に教えてもらって分かった。そこに描かれている風刺画とはどんなものだろう?

イスラム過激派から、何度も殺すという脅迫を受けているのも関わらず、警告に屈することなく風刺画を描き続けた理由は何だろうか?


今回のような大規模にフランス人がアクションを起こした「私はシャーリー」を理解するためには、イスラム過激派が今行っている、公開処刑、虐殺、人身売買、レイプ、奴隷化、人々を恐怖におとしめて力で支配する行為が、どれだけ非人道的で悪意に満ちたものかということから目を背けてはいけない。
10歳の子供に爆弾を巻き付けて、自爆させることができる人間達なのだ。

彼らシャーリー達はこのイスラム過激派に対して風刺画を描く事で戦ってきた。


※イスラム教を尊重する意味で画像は削減します。


       マホメット 「私は神の使い(予言者)だぞ、バカモノめ!」
       イスラム過激派 「だまれ!この異教徒が!」

この絵が言わんとしていることは、イスラム過激派は
(自分達のことをイスラム教徒だと名乗っているけれど)
イスラム教の予言者さえも判断できないくなっている。

イスラム教徒が予言者に刃を向けるなどあり得ない
イスラム過激派は、すでにイスラム教徒ではない。


この絵はイスラム教をバカにしてるのではなく、イスラム過激派を愚弄しているのだ。イスラム教では、偶像を造ったり拝んだりしてはならないという教えがあるため、こうやって予言者を絵に描くだけで、宗教の冒涜だということになる。


ユーモアや笑いのツボというのは、世界によってそれぞれ違いがある。フランスのコメディー映画が日本では受け入れられないのが良い例で、チャップリンやMr.ビーンのような言葉がなくても笑えるものと違って、皮肉や遠い言い回しで笑いを取るフランスコメディーは、ただ言葉を訳しただけでは、面白みや本当の意味は伝わらないのです。


シャーリー・エブドの風刺画は、妻(フランス人)の協力なしでは分かりにくいものばかりで、フランス語の持つ意味、国の文化や時代背景、宗教を知らずにただ絵を見ただけでは理解できないものが多い。

確かに日本の一部の人達の意見にあるように、風刺画の中には、宗教を冒涜したと取られるやり過ぎたものもたくさんあり、過激派に殺されたのも仕方がないという見方ができる。
だからこの人達が真っ白だとは、私も思わない。
しかし、脅迫にも負けずにイスラム過激派を批判し、その悪行を世に知らせようとしていた姿勢は認められるべきだと思う。

そして、彼らは殺されてしまった。


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そもそもこのシャーリー・エブドCharlie Hebdo という週刊誌は、左的思想の人間の集まりで、実際に事件のあった日の会議のテーマも「差別をどうやったらなくせるのか」というものだっと、あの日に一緒に出席することになっていたパトリック・プルーPatrick Pellouxという外科医がそう証言している。


日本のニュースではうわべばかりの「表現の自由」という言葉が表に出てしまっているけど、その言葉の裏側に『イスラム過激派に対して、私たちはペンを持って攻撃する。その表現の自由を誰も妨げることはできない』という意味が含まれているのだと私は思う。



昨日のフランス各地で起きたデモ集会は、「暴力で自由は奪うことはできない」「民族の壁を越えた友情」「言論と表現の自由」「宗教の自由と他宗教への尊重」「差別のない平等な社会」「イスラムの過激思想と真のイスラム教とは別物」等々、それぞれ集まった人の想いに違いはあっても、フランス共和国が掲げる「自由、平等、友愛」の精神の元に人々が結束した、多くのフランス人にとって忘れられない一日になった。











もう一度だけ今回の事件についてブログに載せます。
その時にコメント欄は開けさせていただきます。




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