2015.02.06.Fri
Paris 15区、メトロ6番線沿い
エッフェル塔に近いメトロの線(6番線)が作られてから100年が経つということで、その老朽化してきた鉄橋部分を去年の夏から改修工事していました。
この鉄橋ができた当時の様子が、ポストカードとして残っているので、散歩した時に撮った写真と比較してみました。

commerce通り
写真の奥はパリ万博の時に置いてあった観覧車。1910〜1920年頃?
この頃はまだ車が走っておらず、パリの中には約10万頭の馬がいたということで
街中はひずめの音と馬車の音で、いつも賑やかだったそうです。
そんな音が煩わしい時は、道にワラを敷きつめることもあったとか。

現在(上写真、陸橋の反対側、2013年)
鉄橋の下では今でも週二回市場が開かれています。

パリの歴史を調べていると19世紀末から20世紀初頭に行われたパリ万博に合わせ、大きく街が変化したことが分かりとても興味深いです。
この鉄橋ができた当時の様子が、ポストカードとして残っているので、散歩した時に撮った写真と比較してみました。

commerce通り
写真の奥はパリ万博の時に置いてあった観覧車。1910〜1920年頃?
この頃はまだ車が走っておらず、パリの中には約10万頭の馬がいたということで
街中はひずめの音と馬車の音で、いつも賑やかだったそうです。
そんな音が煩わしい時は、道にワラを敷きつめることもあったとか。

現在(上写真、陸橋の反対側、2013年)
鉄橋の下では今でも週二回市場が開かれています。

当時
15区 Clodion通り Grenelle大通り 1930頃

現在

commerce通り1930~1940年頃?
馬車に代わって自動車が走り始めます。
まだ電気がひかれていない場所では、夜にガス灯に火を灯して回った。
生活ゴミは、鉄か木製のゴミ箱に入れて店頭に置かれ
回収したものは一部セーヌ川に直接捨てられていました。⬇
ぎょっ!

現在

メトロ6番線 Viaduc de Passy Bir-Hakeim橋
まだこの6番線ができていない初期の頃、車両は木製でした。
ところが火災により80人以上が死亡するという事故が起きたため
1920年から鉄でできた車両に代わっていきました。

現在
この鉄橋の下は映画やCMの撮影などで使われるので、
見覚えのある方もいらっしゃるかもしれません。

現在

commerce通り1930~1940年頃?
馬車に代わって自動車が走り始めます。
まだ電気がひかれていない場所では、夜にガス灯に火を灯して回った。
生活ゴミは、鉄か木製のゴミ箱に入れて店頭に置かれ
回収したものは一部セーヌ川に直接捨てられていました。⬇

ぎょっ!

現在

メトロ6番線 Viaduc de Passy Bir-Hakeim橋
まだこの6番線ができていない初期の頃、車両は木製でした。
ところが火災により80人以上が死亡するという事故が起きたため
1920年から鉄でできた車両に代わっていきました。

現在
この鉄橋の下は映画やCMの撮影などで使われるので、
見覚えのある方もいらっしゃるかもしれません。
パリの歴史を調べていると19世紀末から20世紀初頭に行われたパリ万博に合わせ、大きく街が変化したことが分かりとても興味深いです。